ベトナム発Pizza 4P’sの成功法則に学ぶブルーオーシャン戦略

ベトナム発Pizza 4P'sの成功法則に学ぶブルーオーシャン戦略

海外発の飲食ブランドが日本に逆輸入され、しかも行列店になる。これは決してよくある話ではありません。ベトナム発のピザレストラン Pizza 4P’s は、その希少な成功例のひとつです。

本記事では、Pizza 4P’sの歩みを「ブルーオーシャン戦略」「I-Rフレームワーク」という経営・マーケティングの視点から整理しつつ、その成功要因を読み解いていきます。単なる美談ではなく、「なぜその戦略が合理的だったのか」をできるだけシンプルに解説します。

Pizza 4P’sとは

Pizza 4P’sは、2011年にベトナム・ホーチミンで誕生したピザレストランです。創業者は日本人夫妻の 益子陽介 さんと 高杉早苗 さん。最大の特徴は、「本格的なピザ」と「日本的な価値観」を掛け合わせた独自性にあります。単にイタリアンを輸入したのではなく、

  • 自社チーズ工房を設立
  • 一部野菜は自社農園で栽培
  • 日本の食材や味噌などを取り入れたメニュー開発

といった、手間のかかる垂直統合モデルを初期から採用していました。飲食業の経験がなかった創業者が、ここまで商品づくりにこだわった点は、戦略論以前に驚異的です。

ブルーオーシャン戦略の視点

ブルーオーシャン戦略とは

ブルーオーシャン戦略とは、競争が激しい既存市場(レッドオーシャン)を避け、競合の少ない未開拓市場で独自の価値を築く考え方です。価格競争や広告合戦ではなく、「そもそも比べられない存在になる」ことを目指します。

競合が少ないベトナムから進出

Pizza 4P’sは、当初シンガポールなども検討したものの、最終的にベトナムを最初の出店地として選びました。結果論ではありますが、この判断は極めて合理的だったと感じます。当時のベトナムでは、

  • 高品質なピザ専門店が少ない
  • 中間層の拡大により「ちょっと良い外食」への需要が高まり始めていた

という環境がありました。競争の激しい先進国で戦うのではなく、競合が少ない市場でブランドを磨き上げ、その後に多国展開する。この流れは、教科書的なブルーオーシャン戦略の実践例と言えます。

I-Rフレームワークの視点

I-Rフレームワークとは

I-Rフレームワークとは、企業の海外展開戦略を

  • I(Integration):グローバルでの統合
  • R(Responsiveness):現地への適応

という2軸で整理する考え方です。

マルチナショナル型を採用

Pizza 4P’sは、マルチナショナル型」を採用しているといえます。つまり、

  • ブランドのコア(理念・品質基準・日本らしさ)は共通
  • メニューや味付けは国・地域ごとに最適化

という戦略です。北海道産シーフードや味噌を使ったメニューで「日本らしさ」を軸にしつつ、各国の食文化に合わせたソース開発やローカルメニューを展開する。このバランス感覚が、各国で「その国らしいのに、どこか特別」という体験を生んでいます。

起業ストーリーから見える覚悟

個人的に強く印象に残っているのが、創業の背景です。大手IT企業の海外駐在員として安定した生活を送る中で、「ピザ屋をやる」と決断する。その話を聞いた早苗さんが「えっ、IT企業じゃないの?」と突っ込んだというエピソードは、人間味があってとても好きです。

私自身も上海駐在の経験があるので、待遇の良さや生活の安定感は想像できます。それを捨て、しかも育休中で生後6か月の娘さんがいる状況で起業に踏み切る。その行動力と覚悟は、正直、外から見るとはちゃめちゃです。

ただ、その覚悟があったからこそ、「どうせ一生働くなら、他人の幸せに貢献できる仕事を」という思想が、戦略やオペレーションの隅々まで一貫しているのだと思います。

今後のPizza 4P’s

日本進出、さらにニューヨーク進出が予定されている今後、Pizza 4P’sはより厳しい競争環境に入っていきます。ただし、

  • 自前主義による品質管理
  • 明確なビジョンとミッション
  • 日本×ローカルの独自ポジション

を維持できる限り、単なる「流行りの店」で終わる可能性は低いでしょう。むしろ、飲食業における「思想ドリブンなグローバルブランド」として、長期的に評価される存在になると予想します。


Pizza 4P’sの成功は、運や勢いだけでは説明できません。競争の少ない市場を選び、徹底的に商品と体験を磨き、段階的にグローバル展開する。この一連の意思決定は、ブルーオーシャン戦略とI-Rフレームワークの観点から見ても非常に整合的です。

海外起業や新規事業を考える人にとって、Pizza 4P’sは「飲食ビジネスの成功例」であると同時に、「戦略の教科書を現実でやり切った事例」だと言えるでしょう。